悲しい父親
幼い男の子にとって、お父さんとボール投げなどして遊んでもらう楽しさは、
心地よいお母さんのひざの上のぬくもりとはまたちがったおおきな喜びです。
お父さんは力強さのモデルであり、男の子の理想の将来像なのです。
子どもが無条件でかわいさを両親に与え続けるゴールデンタイムも
やがて終りをつげます。
あんなにお父さんにあこがれ、遊んでもらいたがった男の子もだんだん成長し、
小学生ごろになると仲間と遊ぶほうがずっと楽しくなります。
そして思春期をむかえる頃には、大人になるためにどうしても越えなければならない、
でも圧倒的に越えられない大きな壁として、
父親は身近な、そしてうっとうしい存在になるようです。
少年野球やサッカーなど、父親がコーチとして濃く関わるケースも
ないわけではありませんが、父の仕事、子の勉強の忙しさを理由に
父と子の間のこころの距離はだんだん開いてきます。
それが口を利かない、避ける、家にいても部屋から出てこない、
扱いにくい中高生の一般的な姿と重なります。
母親はそんな二人の間の仲立ちをする通訳だったり、時には子どもからは大人の側、
夫からは離れていく子どもの味方として見られたりもします。
心理学者のフロイトは、父と息子が母を取り合う心理的関係を説明します。
おなかを痛めた母として、父親には分がありません。
しょせん子どもは母親のものと男がうそぶき、こころの奥でため息をつく瞬間です。
こうした母子の強い絆を「マザコン」などと揶揄(やゆ)して、
ウップンを晴らすご仁もいます。
でもそうした母的役割と父的役割のバランスの中で子どもは育っていくのです。
家族の中にもそうした役割分化があることは、子どものこころの育ちにとっても
決して悪いことではなく、むしろ必要なことかもしれません。
父母のそれぞれの役をおじちゃんやおばちゃんが代行している場合もあります。
それはさまざまな立場の人がいて、社会が成り立っていることを
子どもが知る最初の一歩なのです。
でも父親はちょっぴり悲しいね。
2009年11月04日 09:40 | | コメントを読む (0) | コメントを書く
